---それから二人のジャケット撮影は続いていって、
CDがリスナーに届けられているわけなんだけど、
『風花空心』の基になっているのはブログ。でも、二人ともインターネットは苦手なんだよね?
翠: 「うーん、便利だなと思うことはたくさんあります。
ただ“心地よい”と“心地よくない”っていうことだと、あまり“心地よくはない”んです。
“どこまでが本当なんだろう?”って疑いを持ってしまう。たくさんの人に見てもらうべきものと、
そうじゃないものがあまりにも混ざりあっているから、
自分がネットのどこに身をおいたらいいかというのがわからない。
だから自分のホームページも作っていないのかな(東野翠れんのオフィシャルウェブサイトはないのです)」
潮: 「苦手というよりは、“たまに会えるといい人”って感じだと思います(笑)。
いつも仲がいい人とはいえないですね。実態がない気がするんです」
翠: 「そうだね」
潮: 「例えば私の歌はたまに童話っぽいという表現をされることがあるんだけど、
インターネットやそういう世界ってもっともっと私にとっては
おとぎ話のように感じるところが多いんです。現実から少し離れている印象があるのかな」
---ブログを二人が作る経緯は他のインタビューで読んでいただくとして…
二人のブログは“癒し”系だって言われているんです。
潮音ちゃんの歌も翠れんちゃんの写真もその言葉で表されることが多いんだけど…。
翠: 「癒しと言う言葉は私の頭の中にはないですね」
潮: 「私もその言葉はあまり好きじゃないです」
翠: 「何だか癒しという言葉が出てきたことで、“私は癒されていないんじゃないか?”という、
逆に疑う気持ちが生まれてしまっているような気がするんです。
癒しという言葉があるから余計に“自分が不健康な生活をしているんじゃないか?”って
思い込んでいるような感じはあると思います」
潮: 「実は癒しという感情はどこにもないのかもしれないね。
イージー・リスニングとかヒーリング・ミュージックとかいう言葉も、
それが適切な表現なのかなぁとよく疑問に思うよ。
子供の頃に“癒されたいなあ”なんて思うことってなかったでしょ?
最近そういう言葉が出てきて、そんな気がしているだけじゃないのかなぁ。」
翠: 「本来の意味は違うけど、今では商業的な言葉にしか聞こえないのかな」
---でも二人のブログは“癒し”って言われたよね?
潮: 「うーん、そういう“癒す”みたいな意識はどこにもなくて…
自分たちの心の中、日常の中にあったものをそのまま出しただけだと思う。
普段そこにあるんだけど、見え隠れしてしまいやすいもの。
それを見てくださった方が、いろんなところでいろんなことを思ってくれたら、
それでいいんです。」
翠: 「漠然とお互いの中にあったものがすっと出ていっただけですね。
だから1年も続けられたんだと思う。
ブログを見てくれた人たちのコメントも、感想って言うよりは
自分の目線について書いてくれたものが多かったし」
---「癒してやろう!」なんて思ってたら1年も続かないものね(笑)。
潮: 「ブログの言葉はお風呂に入りながら書いたりしてたのね。紙と鉛筆を持って…。
すぐに書けたよ。
1年間、ブログをやらせてもらってすごく自分でバランスがとれていたな、と思う。
翠れんの写真を見て言葉を書くことで、自分で“出したいな…
でも曲にするのはまだ早いかな?”と思うような言葉の行き場所がちゃんとそこにあったから。
やっぱり翠れんの写真が導いてくれるものがすごく多かった」
翠: 「このブログに関しては、(ポラロイド)写真に
潮音ちゃんの言葉がついて完成されるものだと思っていました」
---翠れんちゃんの写真は紙で出来ていて、
潮音ちゃんもコンピュータじゃなくて紙に言葉を書いていたわけですが、
それは本を作っている感覚とは違ったのかな?
翠: 「違いましたね。写真を撮っているときは何も考えていないけど、写真を選ぶときには
やっぱりコンピュータのあの画面で見てもらうということを想像していたから、
本を作るのとは違いますね。本として残す、ということは考えていませんでした。」
潮: 「私もそうですね。だから“本にしませんか?”と言ってもらって、
それが本になるということが
果たしていい結果になるのかなという不安は最初正直ありました。
でも、きっとブログが少し時間が経ったら終わってしまって
もう見られないことを寂しく思っていたんだと思う」
翠: 「私は潮音ちゃんと作っていて本当に楽しかった。写真が写真のままで終わらずに、
潮音ちゃんの言葉がつくことで、そこにお花を添えてもらっているような1年間でした」